『 愚痴と同情の法則 』

先日、遅い昼食を取ろうと夕方のラーメン屋に飛び込んだ。時間帯のせいか客は私だけ。すると店主が私を相手に愚痴をこぼし始めたのだった。「雑誌で紹介されてから混雑時が忙しすぎて困る」「仕込んでも仕込んでも追い付かない。これじゃ身体を壊しそうだ」等々…。私は不快な思いで食事を済ませると店を後にした。「なぜ客の私が、店の愚痴を聞かねばならないのだ」

この場合は私が神経質すぎるのかも知れないが、もっとわかりやすいビジネスの場面でならどうだろう。営業職の皆さんならお分かりになると思うが、苦労話を聞いて素直に同情してくれる顧客は滅多にいない。むしろ「そんな話を聞かせて同情を引こうという腹積もりがけしからん」と叱られるのがオチだ。そして、実は転職の世界でも、同じようなことが言えるのである。

人材紹介オフォスには、「とにかく自分の不遇な状況を誰かに聞いて欲しい」人もたくさんやって来る。気持ちは、ものすごくわかる。話せる場所が他にあまりないからだ。リストラされたという話や、こんな酷い事情で辞めざるを得なかったという話、何件廻っても決まらないという話…。一通り聞いてから、私は「その話は本番の面接で漏らさないようにして下さい」と言う。

転職は、個人の事情抜きには語れない。それは大前提としてある。しかし面接に臨む自分はあくまで“個人であると同時に売り込み人”だ。一見優秀に見える人でさえ、それを忘れがちなのである。例えば最近目にした顕著な例では、官公庁から大手、ベンチャーへと転職を繰り返していたFさんだろう。

「役所は単調すぎ、大手は風通しが悪く、ベンチャーは忙しすぎました」とFさんは面接で語ってしまったのである。Fさんにしてみれば「だから御社に入社したいと思った」と言いたかったのだろう。しかしビジネス上の売り込み文句として考えれば、愚痴の類など“購入側”は聞きたくないのである。採用する側は愚痴に不快になりこそすれ、心動かされることなどほぼ無い。

なぜなら1回1時間、多くて3~4回の面接で、その人の人間性の全てがわかるはずもないからである。わからないからこそ、負の話は負の話として印象に残ってしまうのだ。どんな事情があるにせよ、ビジネスの場面で愚痴に同情してもらえると思ってはいけない。自分の境遇をぐっと飲み込んだ上で、颯爽と己を語る。そんな人にこそ運が向くと思うのだが、いかがだろうか。